• 病気が教えてくれたもの。足もみに出会うまで。 その1

    12月に入り師走モードになってきましたね😊

    自宅や職場の大掃除をされる方も多いのではないでしょうか。

    特に今年は、重たいニュースが多かった・・・。どよよんとした空気感がありましたよね。

    来年に向けて、身の回りの不要な物を捨て、軽やかに新年を迎えたいものです。

    さて、我が家でも年末の断捨離祭り最中ですが、そんな大掃除の最中に見つけた2014年の手帳。

    ふと手が止まり、パラパラとめくる内についつい見入ってしまいました。

    そして、気付くと涙が溢れていました。

    2014年は、 私の人生に良くも悪くも大変革をもたらしました。その時のことを綴ってみようと思います。

    前年の2013年に出産し、子供が1歳になったタイミングで夏に職場復帰しました。

    今覚えばその時期は、慣れない育児と、産休を取らせていただいた職場なので、しっかり仕事しなくては!という自分自身へのプレッシャーで常にピリピリと気が張っていました。

    でも不思議なことに、写真やビデオに残っている自分を見ると子の成長を喜び、風邪を引けば一喜一憂しながらも朗らかに過ごしていたようにも見えて、自分の感じていた状態と表に出していたのとは別だったのだなぁとも思います。ある意味「自分のことは、どうでもいい」みたいな状態と言えば一番近いかもしれません。お母さんあるある、かもしれませんね。

    突然、感情的になって夫を怒鳴りつけてしまったことがあったのもこの時期。産後、体調があまり優れなかったことから、産後のホルモンバランスの乱れが回復してなかったのかもしれません。あと思えばお腹の調子も良くなかったです。

    秋が過ぎ、実家のある東京へ数日間、休みを取って遊びに帰っていた時、ふと目に異変を感じました。

    左目がなんだか痒い。見てみると目の粘膜が赤くなっていて目玉の少し下側のピンク色の粘膜がベロンと出ていて気持ち悪い。そして白目も充血している。取り急ぎ実家近くの眼科へ受診しました。そこは、患者さんでいつも一杯の人気の病院。長い待ち時間の後、あっさり「結膜炎ですね。」と診断されました。抗生剤入りの目薬を処方されました。

    ところが、その後数日間、自宅に戻ってからも当然点眼を続けていたのですが、ちっとも良くならないのです。「おかしいな」と思い、今度は自宅近所のいつも割と空いている(失礼)眼科に受診してみることに。この時は「目薬の種類が合わないんだ、違う種類のものに変えてもらおう」くらいの気持ちでした。

    視力や、眼圧など一通りの検査を終え、診察室に呼ばれると驚きの言葉を聞くことになりました。

    「腫瘍があります。大学病院へ紹介しますので悪性のものか精密検査をしてもらって下さい。」

    えぇ?今、なんておっしゃったのかしら?

     予想だにしない言葉に、状況が飲み込めず、私は「はぁ・・・。」と情けない返事しかできませんでした。

    そして後日、紹介された大学病院で精密検査をしてもらうことに。

    主治医の先生からは、問診の時点で「恐らく癌でしょう。腫瘍の一部を切り取って精密検査を行います。」と言われました。目を切るのですか・・・と私は恐怖に顔面蒼白です。大きな病気をしてこなかったので、切ったり貼ったりということに無縁な人生だったことに初めて気付きました。

    癌だとはっきり言われてしまったことに加え、これから自分の体にメスを入れられる、しかも目!という恐怖感で思わず処置室の前で涙が出てきました。

    外来の一角にある処置室の中に通されると、大きく開かれた左目に部分麻酔を刺されました。目の処置で嫌なところは、当然ながら目を閉じられないことですね。まさに処置を目の当たりにしないといけない状況。怖いったらないです😂

    ちなみにこの時、私の脳内シアターでは、サルバトール・ダリの『アンダルシアの犬』とかスタンリー・キューブリックの『時計仕掛けのオレンジ』のワンシーンの映像が駆け巡っていました。(伝わるかしら)

    「じゃあやりますね。」と主治医がメスを持つのが分かり、腫瘍部分を切り取っているのが分かります。何故なら、痛いから。

    あれ、麻酔は?・・・いや、さっきしてもらっていたはず。「痛いです!」と伝えましたが、もはや後の祭りでした。

    大きな眼帯のような物を付けてもらい、結果は後日、と言われ解放されましたが、しばらく歩くと眼帯からは温かい物が垂れてきました。涙かと思い、手で拭うと血でした。端から見たらちょっとホラーですよね💦

    数日後に結果を聞くとやはり悪性腫瘍=癌であることが分かりました。

    医師からは「悪性リンパ腫です。こないだ高倉健が死んだ病気です。」とキッパリ言われました。

    「血液系の癌なので血液内科に院内紹介します。」と説明して下さいました。こんな場所でニュースで聞いていた、しかも最近亡くなった芸能人のお名前を聞くことになろうとは・・・主治医の言葉選びのさっぱり感に圧倒されつつも、『癌』=『死』のイメージに震えました。「夫にも同席してもらった方がいいですか」聞くと「局所に留まっていれば、急に亡くなるような危険性は低いタイプの癌ですが、これから転移も調べる必要があります。ご心配ならご主人もどうぞ」とのお返事でした。院内紹介される血液内科で他への転移が無いかを調べて治療のフォローアップを行うとのこと。転移が見つかれば、また治療が必要になります。全身の検査が完了するまでは気が抜けない。

    血液内科では、正式な病名としてMALTリンパ腫という種類の癌であるとのこと。治療の予後は良い人が多いこと。転移の有無を画像検査に加えて骨髄と消化器系の検査を行うことが説明されました。夫もやはりショックを受けていたようですが、気丈かつ冷静でいてくれたのでありがたかったです。やはり病気や治療の説明は冷静でいられるご家族かご友人同伴がいいと思います。待合にあるテレビがクリスマスソングを流している12月の中旬から転移のスクリーニングを開始しました。

    骨髄検査は、ベッドにうつ伏せに寝た状態で大きな針を背中に刺して骨髄液を採取するのですが、その注射が激痛ということでとても有名です。私も散々、医師や看護師から「大きな声を出しても構いませんからね」とか「痛いけど少しの間ですから辛抱ですよ」と言われていたのですが

    ・・・何故か全く痛みを感じませんでした。

    強く押されているなぁと感じる程度でした。あたりどころがよかったのでしょうか。処置してくださった方が、良くぞ我慢しなさったと労って下さいましたが、本当に痛みはなかったです。

    でも消化器の検査はまた思い出深いものになりました。人生初の胃カメラ検査だったのですが、周りの経験者からは「検査中は3つの川ができるんだよ。涙と鼻水と唾液のね。」と教わったのですが、それは本当でした。見事な3大河川を描けたのではないかと自信を持って言えます。しかも担当医からは「ごめんね〜、辛いよね〜クリスマスなのにごめんね〜。」とその日がクリスマスだったことを思い出させてくださったおかげで、辛さに加えて切なさが200%アップしました。ちなみに十二指腸が荒れていてポリープもあったのですが、悪性腫瘍ではありませんでした。あぁよかったと一安心。

    全身の検査結果に転移もなく、局所的に放射線治療を行うことになりました。

    抗癌剤の治療もなし、とのことでした。

    私の実母が肺癌を患い、長く闘病していたので抗癌剤治療の大変さは本当に見ていても辛いです。不幸中の幸いでした。

    今こうして思い出してみると、最悪の状況から免れてよかったとなぁ、幸運だっったなぁとつくづく思いますが、当時の私は、いきなり癌だと宣告されるなんて、こんなことが起きるなんて酷すぎる!どうしてこんなことに!とパニック状態&被害者意識満載でした。

    次回、②で実際の治療内容について書いてみたいと思います。

    書き出したら止まらなくなっておりますが、自分に取ってのまとめという意味合いでも綴って行きたいと思います。